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Jacques Deleplancque Interview 2018

ホルン界の大御所、パリ高等音楽院教授を務めるジャック・デルプランク。演奏家としての経歴やアンサンブル・アンテルコンタンポランの思い出、ホルン上達のコツについてインタビューを行いました。
取材:ビュッフェ・クランポン・ジャパン(2018年8月22日・東京にて)

フランス黄金期にホルンを始めて

  ホルンを始めたのは、いつ、どのようなきっかけでしたか。
デルプランク 私はパドカレ(フランス北部)の出身です。フランス北部には吹奏楽の伝統があり、管楽器がとても盛んです。私の家族も全員楽器を演奏し、父はアマチュアのオーボエ奏者として吹奏楽団で活躍していました。幼少の頃から様々な管楽器を聴く機会があり、ホルンの美しい音色に惹かれて、7歳の時に練習を始めました。

  地方音楽院で学び始めたのでしょうか。
デルプランク いいえ。9歳から14歳まで、アマチュアのホルン奏者であるポール・カンタンという先生に習いました。カンタン先生の本職は石炭の鉱夫でしたが、とても熱心にレッスンをしてくれました。毎週水曜日に、ソルフェージュを2時間、ホルンを2時間、そしてヨガのエクササイズを教えてくれて、ヨガをやっている間は様々なクラシック音楽のCDを聴かせてくれました。

  その後、パリ国立高等音楽院に入学されましたね。
デルプランク バルボトゥ先生のクラスに入学しました。先生は1924年生まれで、ちょうど大戦が終わる頃に、プロとしての活動をスタートしました。ランパル、ランスロなどと同世代です。その時代にレコード技術が普及したため、演奏家には素晴らしいキャリアが開けていました。フランスでの音楽の黄金期です。
バルボトゥ先生は、先生である以前に偉大な音楽家でした。全てを演奏をとおして伝えきる人でした。演奏家としての才能があり過ぎたため、技術的に問題のある生徒に教えることには苦労しているようでした。しかし、昔のフランスでは、レッスンで技術を細かく教えること自体、珍しかったのです。現在は、楽器の演奏技術についても詳しく研究されています。その点、当時のアメリカは技術の研究もしていたので、フランスより進んでいました。

  ホルンの演奏は、フランス、ドイツ、アメリカなど、国によってスタイルが異なりますか?
デルプランク 1980年頃までは、演奏家が国外に旅行することが少なく、フランス、ドイツ、イギリス、オーストリア、アメリカなど、国ごとにアイデンティティーがあり、音色も違いました。そもそも自国で生産するホルンを使うのが当たり前だったので、楽器の設計の違いも、国ごとの個性を生んでいました。国による演奏の違いは、国による作曲スタイルの違いに例えられます。ワーグナーやシュトラウスはドイツ、ラベルやドビュッシーはフランス、というように、聴けば違いが分かりました。
ホルンに関しては、フランスでは、ピストンのついた開口部が小さいホルンで、明るく華やかな音色や、速いパッセージで名人芸を披露することが好まれました。それに対して、ドイツは楽器も大きく、ダークで壮大な音色が特長でした。

  現在はいかがでしょう。
デルプランク 今日では演奏家が気軽に国外で活動できるようになり、国ごとの違いは少なくなっています。ドイツとフランスの録音を聴き比べると、ドイツの音色のほうが明るくて驚くこともあります。個人的には、様々なアイデンティティーが存在することは豊かさだと考えているので、違いが少なくなっていることは、残念だと感じています。
現在、国のアイデンティティーをはっきりと感じるのは、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団だけです。

  デルプランクさんの演奏スタイルはいかがですか。
デルプランク フランスのアイデンティティーを持ち続けたいと思います。とは言え、シュトラウスやワーグナーを演奏する時には、曲のスタイルに忠実な音色、フレージングで表現します。作曲家の作風に対する知識と尊重は不可欠です。

  18歳でリールのオーケストラに入団しましたね。初めてのオーケストラでしたか。
デルプランク いいえ。14歳で高等音楽院に入学してから、様々な音楽家が私の演奏を認めてくれて、15歳からはフランス国立交響楽団でバーンスタイン、マゼール、小沢征爾などの偉大な指揮者のもと、演奏させてもらっていました。
18歳で入団したのは、フランスでは18歳の成人年齢に達さないと正団員になれなかったためです。それでコンクールを受けて入団しました。ちなみに初来日はリールのオーケストラの演奏旅行の時で、1969年でした。以来、2~3年ごとに来日しています。

アンサンブル・アンテンコンタンポランの思い出

  リール入団の2年後には、ブーレーズよりアンサンブル・アンテルコンタンポランに招聘されましたね。
デルプランク ええ、素晴らしい経験でした。
フランスでは当時、現代音楽はあまり普及しておらず、音楽院でも学ぶ機会はありませんでした。そのため、アンサンブル・アンテルコンタンポランで初めて現代音楽を学びました。

  ブーレーズはどのような人物だったのでしょうか。
デルプランク 厳しい顔と、人間的な顔を持っていました。例えばブーレーズは、ツアー中の演奏会に国家元首が来ても、一緒にリムジンに乗って高級レストランに行くようなことはしませんでした。若いメンバーと同じホテルで眠り、常に私たちと一緒に過ごしました。私たちはプレッシャーとプロ意識を感じながら舞台に臨み、それが終わると友情と連帯感を分かち合うためにブーレーズと一緒に食卓を囲み、夜中の3時まで語り合いました。しかし、翌朝の練習には大真面目な顔をしたブーレーズが私たちを待っていました。
ブーレーズは冷酷な人間だった、という噂がありますが、私たちにとって、彼は偉大な人で、素晴らしい心の持ち主でした。クリスマスには毎年、美しい鞄など、皆が喜ぶプレゼントをメンバー全員に必ず贈ってくれました。逆に、ツアー中に彼が誕生日を迎えたことがあったのですが、サプライズでパーティーを行ったところ、ひどく感激していました。

  素晴らしい経験をされたのですね。
デルプランク 古き良き時代でした。ちょうどブーレーズは1974年から1980年までバイロイト音楽祭で取り組んだワーグナーの「ニーベルングの指環」シーズンを終わらせたところでした。ブーレーズはその頃海外で活動していたのですが、大統領のジョルジュ・ポンピドゥーがブーレーズをフランスに呼び戻してくれたのです。そのおかげで20世紀の音楽を世界中に広めることができました。ポンピドゥーは他にも、IRCAMやシテ・ドゥ・ラ・ミュージックを作りました。現代音楽への大きな貢献でした。

  アンテル・コンタンポランでは様々な作曲家と出会いましたか。
デルプランク ええ、リゲティ、クルターブ、ベリオ、シュトックハウゼン、と数えるとキリがありません。

  まさに現代音楽を代表する顔ぶれですね。その中でも特に好きな作曲家はいましたか。
デルプランク 私が好きな作曲家の1人はリゲティです。東欧の現代音楽の作曲家は、現代的な手法を用いながらも、自国のメロディーなリズムを使って作曲し、アイデンティティーを残していますからね。彼の作曲したホルン、バイオリン、ピアノのためのトリオを演奏しましたが、楽譜に対する完璧な理解と高度な技術を要するため、リハーサルは50時間にも及びました。

  アンテル・コンタンポランでの経験で、デルプランクさんの演奏は変わりましたか。
デルプランク 変わりました。アンテル・コンタンポランでは、楽譜に書かれたことの徹底した読み取り方と、それをホルンの演奏技術でどのように忠実に再現するかを学びました。音楽の内容を理解せずに演奏することはできません。現代音楽には新しい表現法も多く、常にホルンの技術的な限界に挑戦することになりました。また、優れた作曲家、演奏家との出会いも大きな糧になりました。クラリネットの巨匠、ミシェル・アリニョンとも、4、5年アンテル・コンタンポランで一緒に活動しましたよ。

  その活動を12年続けられ、フランス国立管弦楽団に移籍されましたね。
デルプランク 1993年のことです。ブーレーズがちょうど70歳の誕生日を迎える前で、彼の誕生日を記念し、ベルリン、シカゴなど世界中の交響楽団でマーラーの交響曲を全曲指揮することになったのです。それで、アンサンブルと過ごす時間が少なくなると告げられました。そこで、アンテル・コンタンポランを離れることを決心したのです。

  音楽院生の時に共演していた交響楽団に入っていかがでしたか。
デルプランク バーンスタインやマゼールと演奏した楽団だったので、入団試験に合格してとても嬉しかったです。幅広い時代の音楽を演奏できることも、喜びでした。

  その後はトゥールーズに入団され、現在に至るまで長年首席奏者を勤められていますね。
デルプランク トゥールーズの指揮者に熱心に誘われ、1996年に入団しました。フランス国内外で評判の良いオーケストラで、とても雰囲気が良く、居心地良く感じています。EMIとのパートナーシップでCDの収録も多く、ツアーもあり、世界最高峰のソリストとの共演も多い。また演奏レパートリーも幅広く、交響曲もオペラもやります。一般的にオーケストラは、交響曲かオペラか、どちらかしか演奏しません。今後もずっとトゥールーズで演奏を続けたいと考えています。

ホルンのレッスンと上達について

  演奏で活躍される傍ら、パリ国立高等音楽院で教授を務められていますが、教育活動も長いのですか。
デルプランク それまでにも個人レッスンをすることはありました。アンテル・コンタンポランのホルン奏者、と聞いて興味を持ってくれた生徒が数多くいました。大抵は自分より年上の大人の奏者だったので、彼らからの学びも多かったです。

  デルプランクさんがレッスンで心がけていることはありますか。
デルプランク まずは生徒を、心身ともに自然な状態に戻すことです。全ての人間は生まれてから、呼吸をする、聞く、歩く、叫ぶ、話す、などの動きを本能的な反射、反応によって自然と習得していきます。ところが大人になり、歳を重ねると、自然なもの、本能的なものを失ってしまいます。頭の中であれこれ考えて自分の動きを支配できるようになると、自然な反射、反応を自ら封じてしまい、不自然さや矛盾、無駄が生まれてしまうのです。そこで、人間の自然な反射、反応を取り戻す、というところから始めます。心身ともに自然な状態に戻し、自然な反射、反応を取り戻すことは、演奏技術だけではなく、人生のあらゆる面で重要なことだと考えています。

  とても深いお話ですね。ヨガにも通じるところがあるのでしょうか。
デルプランク 私のレッスンでは、ヨガや太極拳も取り入れて、自分自身の内側に入る、ということも教えています。心身ともに自然な状態に戻す、ということは、リラックスして姿勢を良くし、自然に息を入れ、構えも力まないことに通じます。

  技術的な上達は、どのようにサポートしているのでしょうか。
デルプランク 私の師事したバルボトゥ―先生は、技術の解説はせず、お手本を演奏して見せてくれました。しかし、技術的な問題を抱えている生徒には、お手本を見るだけでは改善が難しい場合もあります。実は私自身も技術で苦労することはなかったので、どのように吹けば技術的な問題が起こるかを検証するための練習を行いました。そこで明らかになった原因を分析し、生徒に伝えています。この方法が功を奏し、一時期は私のクラスに技術的な問題を抱える生徒が押し寄せてしまい、「ドクター・ジャック」というあだ名がつきました。

  今回は日本に招聘されてレッスンを行っていらっしゃいましたが、日本でホルンを学ぶ生徒へのアドバイスはありますか。
デルプランク 2点あります。日本には、内向的で控えめな生徒が多いですね。演奏家は、音楽を通して自分の心の内部をよく知り、表現ことができます。言葉で表現することが難しいことでも、音楽では遠慮は無用です。タブーな言葉もありません。自分の感じていることを全てさらけ出してしまっても、何の問題も起こらないのです。
外に向かって自分を表現するためには、まずは緊張をほぐす必要があります。日本人は大抵細身なため、肺をしっかり使うことを意識して、空気を送り込み、音を出す必要があります。姿勢をよく、楽器を自分に引き付けて、肩から手までの力も抜いて柔軟に構え、笑顔で自信に満ちた気持ちで吹いてみてください。
繊細な日本人生徒は、本番で緊張しやすいかも知れません。私自身も、難曲を演奏する前には心臓がドキドキすることがあります。その場合は、舞台で椅子に座ってから、観客の一人一人を視界に入れて、「この人のために吹こう。音楽の喜びを得るために来てくれているのだから、幸せな気持ちにしてあげたい。」と考えるようにします。すると、自然と誇りが湧き上がってきて、リラックスできるのです。さらに笑顔を作れば、堅くならず、気負わずに上手に吹こうという気持ちを持つこともできます。
音楽表現においても、本番で力を発揮することにおいても、要はリラクゼーションと呼吸です。

ホルンについて

  ホルンとは、どのような楽器なのでしょうか。
デルプランク オーケストラの中で、ホルンは2つの役割を果たすことができる楽器です。ソリストとしての役割、様々な楽器の媒介の役割です。ホルンは音域が広く、音色も自由に変えられるため、弦楽器や管楽器のあらゆる音色と混ざり合い、演奏を楽しむことができます。
そして、ホルンの音色は、まるで空の音色のように変幻自在で、美しいと思います。

  使用されているホルンの機種を教えてください
デルプランク 〈ハンス・ホイヤー〉のトリプル・ホルン”C1“(F-B-High Eb)です。8カ月前に購入しました。

  なぜ”C1“を選ばれたのでしょうか。
デルプランク ”C1″と出会ったとき、その音色に魅了されました。ピアニッシモからフォルティッシモまで、音がかすれたり潰れたりすることなく、安定して芯がある美しい音が出せますし、明るい音から暗い音まで、音色も変幻自在です。”C1″を吹くとき、私は限界を感じません。使用している金属が他のメーカーと異なり、密度が軽いので音質が良いのだと思います。技術的にも何のストレスもなく演奏できます。私は「音のパレットの大きさ」にこだわります。楽器がもともと持つ音が、豊か過ぎても、貧しすぎても駄目です。豊か過ぎる場合、誰がどのように吹いても同じ音色しかでないため、自分の個性を自由に表現できません。私の”C1″の演奏を聴いた方たちからは、音色に対する称賛の言葉を沢山いただきました。

  〈ハンス・ホイヤー〉のホルンは、以前からご存知でしたか?
デルプランク もちろん。〈ハンス・ホイヤー〉は1975年~1980年代頃は特に世界的に高く評価され、人気がありました。しかし、東ドイツのブランドだったため、政変も影響して経営的な混乱が起こり、停滞してしまいました。その後ビュッフェ・クランポン・グループが〈ハンス・ホイヤー〉を復活させ、品質を向上させて、現代に相応しい新機種を開発し”K10“、”C1“、”C10“のような素晴らしい名器を生み出しています。

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