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アンドレ・カザレ氏 Interview

パリ管弦楽団の首席ホルン奏者を務め、パリ国立音楽院で教鞭をとるアンドレ・カザレ氏(以下、敬称略)。その経歴や現在の活動、また愛奏する〈ハンス・ホイヤー〉のホルン“C1”について、お話を伺いました。(取材:今泉晃一)


「自分はホルンを吹くために生まれた」と思っています

  カザレさんはどのようにホルンを始めたのですか。

カザレ 私は南フランス、ピレネー山脈に近いポーという町の出身です。あまりコンサートなどが多くないところでしたが、家で父とレコードを聴いているときにホルンの音を聴いて――そのときはそれがホルンという楽器だとは認識していませんでしたが、父に「この楽器をやりたい」と言いました。しかし、まだ小さかったので9歳か10歳までは待つように言われました。今は子ども用の小さな楽器がありますが、その頃はなかったので、まずはピアノやソルフェージュを習い、9歳のときにホルンを吹き始めました。

  レコードで聴いてホルンが印象的だったのは、何の曲か覚えていますか。

カザレ メンデルスゾーンの《真夏の夜の夢》やワーグナーの《ジークフリート》、ベートーヴェンの交響曲第3番、ブラームスの交響曲第3番などです。父が初めてプレゼントしてくれたホルンのレコードは、アルベルト・リンダーの吹くモーツァルトのホルン五重奏曲でした。

  9歳で楽器を始めて、どのくらいの速度で上達したのですか。

カザレ 上達は早かったです。やはり音楽をたくさん聴いたこと、それから情熱があったことが大きかったと思います。「自分はホルンを吹くために生まれた」と思っていますから。
13歳と6か月のときには、演奏会で吹いて初めてお金をもらいました。地元のオーケストラでベートーヴェンの交響曲第3番をやったときに、当時のホルンの先生と、先輩と一緒に演奏して、新聞の記事にもなりました。その後18歳でパリの国立高等音楽院に入学し、ジョルジュ・バルボトゥのクラスに入りましたが、その前からいろいろなオーケストラでエキストラとして演奏していました。

  音楽院を卒業した後は?

カザレ ホルン専攻を1977年に卒業し、翌年に室内楽専攻で入り直しました。そして79年に現代曲の演奏団体である、アンサンブル・アンテルコンタンポラン(以下、EIC)に入りました。EICは指揮者のピエール・ブーレーズが1976年に設立した団体ですが、当時は彼がよく振りに来てくれていました。とても幸せな時間だったのでずっと残りたいと思っていたのですが、79年の9月にパリ管弦楽団の首席のオーディションがありました。一度誰かが入ってしまうと何十年と席が空かないので、受けるしかありませんでした。当時のパリ管の指揮者だったバレンボイムも好きだったので、ブーレーズの元を離れてもバレンボイムの元で演奏できるならいいとも思っていました。結果、私が23歳のとき、1980年の1月にパリ管に入団し、すでに43年半になります。自分が一番やりたいと思うポストに就けたことは非常に幸運でしたね。

アンドレ・カザレ氏


アーティキュレーションは言語と密接に関係がある

  長く在籍しているカザレさんから見て、パリ管弦楽団とはどんなオーケストラなのでしょうか。

カザレ フランスで一番レベルの高いオーケストラですし、演奏するプログラムも、指揮者のレベルも世界トップクラスです。今の音楽監督であるクラウス・マケラはまだ若いですが、いつか本当に世界を代表する指揮者になると思います。

  印象に残っているのはどんな指揮者ですか。

カザレ 最初の音楽監督はバレンボイムで、彼とはとてもいい関係でした。客演指揮ではヴォルフガング・サバリッシュ、カルロ=マリア・ジュリーニなどが印象的でした。むしろ、一緒に演奏できなかった指揮者を数える方が早いかもしれませんね。ヘルベルト・フォン・カラヤン、ニコラウス・アーノンクール、カルロス・クライバーの3人は残念ながらご一緒することができませんでした。

  パリ管弦楽団は以前は非常にフランス色の強いオーケストラでしたが、徐々にインターナショナル化しているように思います。その変化をどうご覧になりますか。

カザレ 昔はフランスとドイツは頻繁に戦争をしており、敵対関係にありました。だからドイツではフランスの曲は演奏しませんでしたし、フランスではドイツの曲を演奏しませんでした。しかし今はそういうことは全くなく、お互いの演奏を聴き合っていますので、昔のフランス独自の流儀のようなものは廃れてきていると思います。
今となっては世界中のオーケストラで、音色などにそれほど大きな違いはないのではないでしょうか。なぜなら、レベルの高いオーケストラは世界中から奏者が集まっているからです。ベルリン・フィルは20くらいの国の人がいますし、以前は非常に国籍に厳しかったウィーン・フィルにも外国籍の奏者が在籍していますからね。

ただし、アーティキュレーションは違います。アーティキュレーションは言語と密接に関係があるので、演奏の違いとなって表れるのです。具体的に言うと、フランス語では語尾が少し上に上がりながら消えていく感じがあります。フレーズの最後を決して押さないで、軽くするのです。だからフランスの曲を演奏するときには、そのように演奏しなければなりません。
一方でブラームスやブルックナーなどを演奏するときには音の最後まで緊張感を保っていなければなりません。それを私たちもわかっているので、フレーズの最後を軽くしないように意識して演奏しています。

  ホルンに関しては、クラリネットのような「エコール・フランセーズ」(フランスの伝統的な流派)は存在しないのですか。

カザレ 以前は存在していましたが、今はありません。クラリネットやファゴットはフランス式とドイツ式では楽器も違いますが、ホルンの場合は世界中で同じタイプの楽器を使っているので違いが少ないんですね。基本的にはドイツのスタイルです。とは言っても、今やドイツの音楽学校の先生はドイツ人ではない人も多いので、厳密な「ドイツ流派」というものも存在しません。

  カザレさんの先生であるジョルジュ・バルボトゥと言えば、ヴィブラートを多用したいわゆるフランス・スタイルの演奏でした。そのスタイルを継ぐように教えられたわけではなかったのですね。

カザレ その時代でも、パリ国立高等音楽院ではフランスのスタイルで演奏しない人もいましたし、先生も「同じように演奏しなさい」という教育ではありませんでした。フランスでは個性を尊重しますので、違うスタイルに変わっていくことにも寛容だったのです。

ちょっと面白いと感じていることは、例えば日本で勉強してフランスに留学した人が帰国すると「私はフランスのスタイルの継承者です」と言います。でもそれは現実とは異なりますよね。なぜなら、フランスの学校でもフランスの作曲家の曲ばかりを勉強するわけではなく、世界中の曲を勉強するわけで、そこで身に付けるものはフランスのスタイルだけではないからです。

アンドレ・カザレ氏


現代曲もいずれ「聴こえてくるもの」になるかもしれない

  ところでカザレさんは今もアンサンブル・リティネレールという団体に所属するなど、現代曲にも積極的に取り組んでいます。現代曲というとわかりづらいと敬遠する人も多いですが、その魅力はどこにあるのでしょうか。

カザレ ベートーヴェンが七重奏曲を初披露したとき、客席はガラガラだったそうです。今は名曲とされていますが、その時代にはやはり大勢に認められる音楽ではなかったのです。今、エレベーターに乗ったときヴィヴァルディの《四季》が流れていることはありますが、タケミツの曲がかかっていることはありませんよね。でも、いずれ現代曲も同じように「聴く」のではなく「聴こえてくるもの」になるかもしれないのです。

ベートーヴェンの時代にも大勢の作曲家がいましたが、今も演奏されているのはその時代に書かれた作品のうち数パーセントにすぎません。だから現代においてもいろいろな作曲家の作品の中から、50年後にいくつかが残っていくのだと思っています。現代曲を吹くことは必ずしもすごく面白いというわけではありませんが、そこに参加していることに意味があるわけです。

  パリ国立高等音楽院でも長く教えていらっしゃいますが、どんなことを重視していますか。

カザレ 演奏するということは、書いてある譜面を読んで伝えるということですが、その構成とフレーズ感に関して、音楽的に不文律がありますので、それを尊重して演奏する必要があります。たとえばフレーズの中でブレスを取っていいところとダメなところがある、といった具合です。
もちろん生徒の個性の違いは尊重していますが、まずは譜面を尊重するということです。譜面に書いてあることをどのように読み取って、それに対してしていいこととよくないことは教えるようにしていますが、感性というものは教えられるものではありません。

カザレ氏が使用している〈ハンス・ホイヤー〉のトリプルホルン”C1”


〈ハンス・ホイヤー〉には、どんな音楽でも演奏できる柔軟性がある

  今は何の楽器をお使いですか。

カザレ 〈ハンス・ホイヤー〉の”C1”という、F/B♭/ハイE♭のトリプルホルンです。〈ハンス・ホイヤー〉は学生の頃から吹いていました。最初は801で、高等音楽院の卒業試験もこの楽器で演奏しました。〈ハンス・ホイヤー〉の魅力はその頃から変わっていなくて、音が真っすぐ鳴ること、何よりも音色の素晴らしさだと思っています。

その後別の楽器も使っていましたが、2000年からは現在の”C1”です。きっかけは、トランペットのティエリー・カンス、トロンボーンのミシェル・ベッケとトリオを組んだことで、後援がビュッフェ・クランポン・グループだったのです。
私は「いい楽器なら喜んで使います」と伝えたのですが、そのために開発された楽器が素晴らしかったので、以来愛用することになりました。要望としては「それまで使っていたのと同じ形式のセミトリプルホルンで、〈ハンス・ホイヤー〉ならではの音色と豊かな響きを持つ楽器」でした。

  ハイFではなくハイE♭にした理由は?

カザレ ハイF管より長いハイE♭管にすることで、B♭管との差を少なくしたかったこともあります。実際にこの楽器で演奏すると、B♭管とハイE♭管の違いはわからないほどだと思います。また、すべての管が四度の関係になるので、F/B♭/ハイFのときに比べて使える倍音の数が増えるわけで、これが演奏リスクの軽減につながります。
多くの替え指が使えるので、音程の補正も可能です。ハーモニーで高い音をpでのばさなければならないときなどは、あえて高めの指使いをして、右手をかぶせて音の存在感を少なくするようなこともしています。

  フランスでは、どの程度の人が〈ハンス・ホイヤー〉を吹いているのでしょうか。

カザレ 801は学生に人気がありますが、プロではあまり吹いている人を見ません。残念なことです。たぶん、ほとんどの人は試していないのではないでしょうか。

写真左から、〈ハンスホイヤー〉のダブルホルン”801”、”6801

  同じハンス・ホイヤーでもクルスペタイプの”6801”を吹かれたことはありますか。

カザレ もちろんです。これはアメリカ向けに作られたモデルですね。とてもいい楽器で、”801”を選ぶかこちらを選ぶかは好みの問題になると思います。

  総合的に見て、〈ハンス・ホイヤー〉にはどんな魅力があると感じていますか。
カザレ 温かな音色を持っていて、どんな音楽でも演奏できる柔軟性があります。もちろん音楽に合わせて演奏のしかたは変えますが、楽器が対応してくれるのです。世の中にはこれができない楽器も意外に多いですからね。

  ありがとうございました。

※ アンドレ・カザレ氏が使用している楽器の紹介ページは以下をご覧ください。
〈ハンス・ホイヤー〉トリプルホルン”C1

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